〈プロフィール〉清晏(せいあん)について

こんにちは。

「ペン字の時間」の管理人の清晏(せいあん)です。

ここで、私自身のことを自己紹介させていただきたいと思います。

生い立ち

私は父、母、2人の弟と1人の妹の6人家族の長女として育ちました。

私は5歳になるまで幼稚園には行っていなかったので、家の中で絵を描いたり、外で兄弟や近所の子と遊んだり、家のお手伝いをしながら自由気ままに生活していました。

しかし、裏では母親があることを心配していたそうです。

それは、「幼稚園に行っていないから、字が書けなかったり、読み書きできていなかったりすると小学生になった時に困るよ。」

と、私と同い年の娘をもつお母さんからアドバイスをもらっていたからです。

母自身は幼稚園や保育園に行かずに育ったので、私を幼稚園に通わせていないことは特に気にしていなかったようですが、さすがに周りの人に心配され過ぎて、私が4歳になった時に、

「ひらがなの練習してみる(・・?」

と、母から言われ、鉛筆で練習を始めたのが私にとって初めての「字」との出会いでした。

私の内向的な性格には字の練習が合っていたみたいで、ひらがなやカタカナだけでなく、

小学校に上がる前までには、漢字辞典を読みながら小学校六年生までの漢字を練習するまでになっていました。

小学校2年生になった時は、書道が趣味の祖父から毛筆も教わるようになり、硬筆と毛筆の二刀流で楽しんでいました。

また、小学校5年生くらいからは、もっと本格的に書道を習いたいと思うようになり、近所の書道教室に通い始めるようになりました。

中学生の頃は書道部がなかったので、陸上競技部に所属していたのですが、

元々スポーツが得意だったこともあって、全国大会に出場するなど、この頃は書道以外のことにも精を出すようになっていました。

ここまでは、客観的にみると、わりと順風満帆な人生を送ってきたのですが、高校生になってから陰りが見え始めます…。

どん底の三年間

部活を引退した後、勉強の方も頑張り、高校は第一志望校に入学することができました。

「高校生になったら、勉強も陸上も書道ももっと頑張ろう!」

今まで、やれば何でもできると思い込んでいた私は入学当初はこのように意気込んでいました。

しかし、結果は…すべてを失ったようなどん底の三年間でした。

まず、勉強がハード過ぎて全くついていけませんでした。新入生テストまでは耐えましたが、その次の初めての定期テストでは奈落の底へ。

特に数学は、一年生の頃は毎回追試に掛かるくらいできなくて、補講の常連になるなど、とにかく何もできませんでした。

陸上競技の方も、受験期にほとんど体を動かせていなかったこともあって、感覚がなかなか戻ってきません。

ハードな練習の中、体を壊し、高校三年生の県別のインハイの予選では大会を欠場してしまいました。

こんな状態だったので、書道の方にも気が回りません。かろうじて週に1回1時間だけ、例の地元の書道教室に通っていました。

先生と話したり、ここで字を書き続けたりすることが当時の自分の唯一の心の支えでした。

なので、上達を目指すというより、ただただ心を癒す為に通っていました。

卒業後もまだまだ苦労は続く…

勉強が一切できなかったので、どこにも大学は受からず、浪人生活になりました。

「大学はどうしよう…書道系に進もうかな?でも、書道じゃ生活するのは難しそう。」

そんなあいまいな気持ちを抱きながら、勉強をしつつ、書道もやりつつ…気持ちが分裂したまま1年間を過ごしました。

書道専攻を受験してみるものの…

大学受験はスポーツ系、社会学系、そして書道専攻の3種類を受けました。

結果は、よりによって、書道専攻だけ不合格でした。

迷いながら勉強していた自分が悪いのですが、この時、自分の字に対する自信はあっけなく崩れ落ちました。

大学での新生活

1年の浪人後、第一志望校でないものの、無事に大学生になれた私は心機一転新しいことに取り組むことにしました。

高校生の頃の不完全燃焼をどうにかしたいという気持ちが強く、ストイックにスポーツをやりたかったので体育会系の器械体操部に入部を決めました。

日本代表経験のあるコーチに指導していただいたことと、小学校の頃に新体操と水泳を、中・高生の頃に陸上をやっていたおかげで、

自分が思うより上達が早く、床でひねり技をしたり、跳馬でツカハラをやったりと楽しく練習ができていました。

待ち望んだ大学生活だったので、この時期は充実した時間を過ごしていました。

その頃、書道の方は通信制の講座に入って細々と練習していましたが、ほとんどの熱量を部活に注ぎ込んでいました。

2度目の悪夢

大学2年生の夏季合宿のことでした。

その日、私は床のひねり技の練習をしていました。

合宿の最終日で疲労が溜まっていたものの、練習が楽しくて夢中で練習していました。

しかし、あるタイミングで突然、下半身に力が入らなくなり、思わず崩れ落ちてしまいました。

後日、病院に行くと「腰椎看板ヘルニア」の診断が下されました。

私はこの時、高校時代に経験した悪夢に自分を重ね合わせていました。

「私は、何か頑張ろうとすると、こうなる運命なのか。」

「なぜ、自分の体のことなのにコントロールができないのか。」

「なんで、高校の時と同じようなミスをするのか。」

自分を責め続けました。

そして、長い間右半身のしびれが消えなかったことで、「前のようには字を書けなくなるかもしれない。」という恐怖心も襲ってきました。

一方で、この一連の結果が、もう一度私の「字」に対する熱意に火を付けました。

再スタートに向けて

怪我をした後、暫くは放心状態でした。

精神的なことのせいなのか、ヘルニアのせいなのかよく分かりませんが、毎日吐き気と格闘したり、

歩くのが難しく、大学に行っても保健センターで寝ていたり、下宿していた部屋の中でもオットセイのように床の上を這って進む生活をしていました。

「このままでいると、私はうつ病になってしまう。これ以上気が落ち込んでしまったら、自分の力で立て直せなくなる。」

そう感じた私は、少しづつペン字や書道の練習を始めました。

文部科学省後援毛筆書写技能検定1級を目指して

ヘルニアになってから半年たった頃、日常生活には支障をきたさないくらいに体の方は回復していました。

しかし、病院に行き「これからの人生を考えると、器械体操はもう辞めたほうがいい。」と言われ、

それを機に部活を引退しました。

また、このタイミングで、私は「文部科学省後援毛筆書写技能検定で1級を取る」という目標を掲げ、それを叶えるべく、検定書道を教えている先生の元へ通うことにしました。

私は、大学が京都だったのですが、その書道教室は名古屋にあったので、毎週土曜日は新幹線で通っていました。

実は、その書道教室は、私が生まれる前に母親が通っていた教室で、その時に母親は硬筆検定の方で1級を取得しました。

先生にそのことをお話し、先生も母親のことを覚えていて…そんな温かい環境の中で私は再び力を付けていきました。

「硬筆よりも毛筆の方が難しいから先に毛筆の方の資格を取ってしまった方がいいよ。」という先生の助言のもと、私は毛筆書写技能検定の方で1級を目指すことにしました。

何回か不合格を経験しましたが、2020年の検定試験で1級を取得することができました。

先生の話によると、その時の検定試験で愛知県で毛筆検定1級に合格したのは私1人だけということだったので、自分の頑張りがようやく実を結んだのだと嬉しく思ったのと、

失っていた字に対する自信が回復してきました。

また、2022年に硬筆書写技能検定の方でも1級を取得することができました。

もちろん、まだまだ改善点は多いし、いくらでも極めていく必要があると感じているのでこれからも、日々精進していく所存でございます(`・ω・´)

このサイトの今後の方向性

このサイトは元々、綺麗な字を書きたい大人の方に向けて記事を書いていましたが、

字のもつ美しさや、手書き文字の楽しさを多方面から味わっていただくために、

今では、ペン字や書道だけでなく、筆文字・アート文字・デザイン文字などポップカルチャーの方にも視野を広げて記事を書いていきます。

その他、経歴や作品紹介

2020 文部科学省後援毛筆書写技能検定1級 取得

2020 日本・フランス現代美術展 入選

2020 スペイン美術賞展 日本・フランス現代美術展の推薦作品として展示 (会期は2021年に延期)

2020 パリ国際サロン 推薦部門にて展示

2021 サロン・ドトーヌ  入選

2022 文部科学省後援硬筆書写技能検定1級 取得

 

↓こちらはパリ国際サロンで展示された、書的表現と油彩を合わせた作品です。

    negative capability,油彩,F30号

 

↓横断幕の筆文字デザインをさせていただきました。