こんにちは!
清晏(せいあん)です。
今日は、巷で時々議論になっている「字は読めればいいvs字は綺麗な方がいい」というテーマで、お話したいと思います。
この記事を読んでくださっている方の中にも、「今はパソコンの時代だし、そんなに字は綺麗でなくても良いのでは?」と思ったり「一応、綺麗に書けた方がいいのかなぁ」などと、悩まれたりされている方がいるかもしれませんね。
そこで、今回の記事で自分はどちら側の人になりたいかを決める判断材料にしていただければと思います。
①「字は読めればいい派」が大切にしている前提
「字は読めればいい派」は、自分の中で物事の優先順位がはっきりしており、合理的で頭の切れる方が多いように感じます。
意見としては、
・字は情報の伝達手段である、というのが本質的な考え方で、字は綺麗であることに越したことはないが、本来の目的ではない。
・綺麗な字を書くより、もっと生産性を重視すべきだ。
・頭の回転スピードに手が追い付いていない結果、読みにくい字になっている。
というものが見受けられますね。
「字の役割として、最低限必要なことを満たしていればよい。」という考え方のもとで字を書いている人が多いように思います。
②「字は綺麗な方がいい派」が大切にしている前提
「字は綺麗な方がいい派」は感受性豊かで、繊細かつ優しい方が多いように思います。
「言葉遣いが綺麗な人が好き」「上品な雰囲気の人が好き」というのと同じ感覚で、自分の感性を軸に、綺麗な字そのものに魅力を感じている方も多いようです。
ちなみに私も、単純に綺麗な字に憧れをもったことが字の練習を始めたきっかけで、最初の頃は「字を綺麗に書くべき理由」みたいなことは正直深く考えてはいませんでしたね…(;^_^A
また、理屈どうこうではなく、字が汚いと感じると自分の気持ちが落ち込んでしまったり、履歴書か何かを書いている時に「なんでこんなに上手く書けないんだ」とイライラしてしまったり…
学生さんであれば「ノートみせて」と言われたときに「見せてあげたいのは山々だけど、自分の読みにくい字を見せるのは恥ずかしいし、実際読めなくて相手に負担をかけてしまうかも…」などと悩んでしまうこともあるのではないでしょうか?
たかが字、と思いつつ、字が綺麗でないことによって精神的なダメージを受けたり、
その人の本来の人格ではない部分で人間性を判断され、悪印象を持たれてしまうなどのリスクを考えている方が多いように思います。
③不快な感情vs快の感情
人は不快な感情より、快の感情が上回る物事に取り組みたがります。
字の美しさに重点を置いていない人は、綺麗な字を習得してもそこまでメリットを得られないと考え、
「字の練習よりも大切にしたいものがあって、少しでも時間を奪われたくない。」と感じていたり、
字が綺麗であることに越したことはないと思いつつも、苦労してまでは手に入れたいわけではない、と感じているのだと思われます。
この場合は、字の美しさを求めることは快の感情よりも、不快の感情が勝っている状態だと考えられます。
逆に、字を綺麗に書きたいという気持ちが強い方は、今までの人生の中で字が綺麗に書けないことによるデメリットを身をもって体感して、
「現状を変えたい!」というところまで意識が高まってきているのだと思います。
コンプレックスが大きければ大きいほど、そのコンプレックスを解消した時に得られる快の感情は大きくなります。
字は「練習したところで上手くなるかどうか分からない…」というような、あいまいなものではなく、正しく練習すれば確実にレベルアップしていくものです。
なので、既に字にコンプレックスを持っている方は、字の練習をして字が上手くなる方がメリットが大きいと私は考えます。
ある意味、字を美しく書くことは、自己表現や自己満足の1つに過ぎないのかもしれません。
しかし、字が綺麗な人しか、字が綺麗であることのメリットは体感できないというのも事実です。
こうしたことを踏まえて、自分は字の美しさに対してどのような価値を置くか、考えると良いと思います。
④「字は読めればいい」から、「字は綺麗な方がいい」へ傾きかけている方へ
私は、綺麗な字の書き方をお伝えしている立場なので、「字は読めればいい」から「字は綺麗な方がいい」へ気持ちが傾いている方へ、字が綺麗なことのメリットをお伝えしたいと思います。
周囲の人に感謝されたり、喜ばれたりする
もちろん、どんな分野であっても多くの人に貢献できれば、感謝されたり、喜ばれることはあると思いますが、
字を書くシーンは日常的にあるので、その回数も必然的に増えます。
以前より綺麗な字を書けるようになったことで損したことは、私の思いつく限りでは一回もないですね。
周りの人だけでなく、自分自身を幸せにできる
字が綺麗になることで、自分の内面にも変化が訪れます。
書道や絵を書くこともそうですが、座って一つのことに集中するときは、ある種の瞑想状態に近いのだと思います。
最近では、マインドフルネスに関する研究も進んでいるようですが、「今、この瞬間に目を向ける」といった点で、字の練習はマインドフルネスの実践に近いものがあると感じています。
こちらの記事でも、字の練習が心に与える影響について触れているので、是非ご覧ください。
⑤今回の内容のまとめ
字に対するコンプレックスの有無は、字に対する考え方に大きく影響を与えるので、そこから字の練習をするべきかどうか、判断してよいと思います。
少なくとも、毎日20分の練習に取り組み、それを最低1年間続けられる場合は後に得をするということです。
字にコンプレックスを抱いている期間が長い人であれば、「字は読めればいいから、少し汚くたって気にしない。」と言い聞かせることに時間を使うよりかは、
むしろその時間を字の練習に当てた方が、時間を有意義に使えると思いますし、モヤモヤした気持ちも晴れると、個人的には思いますね(^^ゞ
それでは、今日はこの辺で!